1875年の2月6日、東京で29歳の森有礼(もり・ありのり)と21歳の広瀬常が結婚式を挙げました。
森有礼とは
森は幕末に薩摩藩が英国に派遣した15人の留学生のうちの一人です。
1874年から75年にかけて『明六雑誌』に論文「妻妾(さいしょう)論」を掲載。「男女同権」「夫は妻を扶養、妻は夫を扶助する義務」があると主張しました。

画像出所:国立国会図書館「近代日本人の肖像」
https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/204
この時代は親同士が相手を決める結婚が普通です。男が妾(めかけ)を持つことも珍しくありませんでした。しかし森有礼は西洋流の一夫一婦制を主張し、お互い助け合い支え合うことを提唱したのです。
福沢諭吉を証人に
2人は結婚に際し「此約条を廃棄せさる間は共に余念なく相敬し相愛し夫婦の道を守る事」などとうたった婚姻契約をかわしました。証人は福沢諭吉。新聞記者も呼び、新築した木挽町(現・東銀座)の洋館で結婚式を挙げ、100人余りのほか新聞記者も招待しました。
常は幕臣、広瀬秀雄の娘です。有礼は次に英国特命全権大使となり、開拓吏女学校出身で英語が話せた常も子供たちとともに渡英しました。
しかし帰国後の1886年11月、双方合意のうえで契約を破棄し離婚しました。広瀬家を継いだ男が政府転覆を図る「静岡事件」に関わったためとの説もありますが、真相ははっきりしていません。
また、こうした契約結婚を実行したカップルは森の影響を受けた者5例しかありませんでした。まだ一般に受け入れられる考え方ではなかったのです。
広報施策に展開する
契約結婚は当時の日本人にとって非常に進歩的な概念でした。さらに福沢諭吉という当代一の知識人を証人に立て、報道陣を招いた行為は、現代の言葉に直せばパブリック・リレーションの構築です。森有礼はその後、初代文部大臣として教育制度の普及に努めました。
現代の企業広報・コンプライアンス施策でも、第三者監査・外部有識者を参画させることは、透明性や正統性を高める有効な手段です。メディア自身でも、新たな政策や判決、事象などを報じる際に大学教授や研究者ら専門家に取材し「画期的だ」などのようなコメントを併せて掲載することがあります(有識者談話、略して“識談”)。
プレスリリースを発表する際、識者としてコメントをしてくれそうな専門家を紹介してみましょう。なお、自社から報酬を払っている人は不適切です。商品・サービスを開発する際に論文を参照した研究者や、その分野の第一人者などが良いでしょう。
他にもこんな方法があります。参考にしてくださいね。
- 新制度導入時に業界団体・メディア・有識者を巻き込み、「社会実験」として発信する
- 社内規程の改定に従業員代表や外部弁護士を関与させ、透明性を確保する



