体言止めとは、体言(活用しない自立語。名詞、代名詞、数詞など)で文を止める(結ぶ)ことです。
少し前に、体言止めを巡る鴻上尚史さんのツイートが話題になりました。この記事では、なぜ“体言止めが美しい”といわれる場合があるのか、また体言止めが嫌われる理由についての考察を具体例と共に紹介します。
時事通信から、「成人の日によせて」という原稿の依頼が来て書いたのですが、書いた文章に20カ所以上の直しが入りました。「体言止めが美しい」というような理由で、納得できないと申し入れたら決裂しました。せっかく書いた文章なので、ここに載せます。多くの若者に届きますように😊 pic.twitter.com/ryEgFvjhnE
— 鴻上尚史 (@KOKAMIShoji) January 6, 2023
体言とは? 体言止めに「反対語」はある?
体言の反対語は「用言」、つまり活用する言葉のこと。
今まさに体言止めを使いました。
通常なら文は「活用する言葉のことです。」「体言止めが多い。」などのように述語で終わります。「活用する」とは、前後につく言葉や文中での働きにより「です-でした-でしょう」などと変化する、という意味です(ここでは簡単に、そういうことにしておきます)。
体言止めの反対語をあえて挙げるなら「用言で終わる文」です。
“用言止め”という言葉はありません。用言で終わるのが普通だからです。体言で文を止めてしまうから「体言止め」。普通と違うからこそ呼び名があるのでしょう。
具体例をいくつか挙げましょう。
・寝室で「エアコンを使用していない」が7割
・冷蔵庫の賢い使い方
・省エネで気候変動に対応!
・県警によると、男は身長が160〜170cm。
・「活動の限界を感じた」と引退の理由を説明。
「使い方」(名詞)
「7割」「160〜170cm」(数詞)
「対応」「説明」の事例では、本来「対応しています!」「説明した」など「する」を付けるサ変動詞として用いるべきところを、動作名詞として用いています。ひとまず、これも名詞の一種としておきましょう。
体言止めが“美しい”場合
文章の末尾に用いる
体言止めは修辞技法(文章表現を豊かにするテクニック)です。新古今和歌集の時代(13世紀)には短歌に用いるのが流行しました。
新古今集の編纂を命じたのは後鳥羽上皇。2022年のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で尾上松也さんが演じた役ですね。
体言止めを用いた短歌で特に有名なのが、以下の3首「三夕の歌」です(かっこ内は歌番号・作者)。
寂しさはその色としもなかりけり槙(まき)立つ山の秋の夕暮れ(361・寂蓮法師)
心なき身にもあはれは知られけり鴫(しぎ)立つ沢の秋の夕暮れ(362・西行法師)
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫(とま)屋の秋の夕暮れ(363・藤原定家)
上の句でいったん意味を切り(三句切れ)、下の句をあえて名詞で終わらせています。動画で例えるなら、人物の表情や事物を寄りで(近づいて)見せてから、景色を引きで(離れて)見せて終えるような感じでしょうか。細部から全体へと場面が移り、よみ終えた後も余情を味わう効果を狙えます。
美しい終わり方ですね!
文章の冒頭や見出しで用いる
もう一つ、体言止めで有名な文をご紹介します。
はるはあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこし明かりて、紫だちたる雲の、細くたなびきたる。(清少納言『枕草子』)
古文の授業では必ず習いますね。日本(古典の)三大随筆の一つ(残り二つは鴨長明『方丈記』と吉田兼好『徒然草』)。新古今和歌集より古く、11世紀初頭の作といわれています。
「春は曙なり(春なら明け方です)」でも「春は曙こそをかしけれ(春は明け方がいいのよね)」でもなく、潔い言い切りです。私なりに意訳してみると
「春といえば明け方。」
といった具合でしょうか。簡潔に言い切ることでドラマティックな盛り上がりを作り、「なぜそう思うの?」と読者の関心を引き、次に続く「なぜ曙がいいのか」の文を読む弾みがつきます。書き出しに迷ったときはこんな方法もありかもしれませんね。
似たような手法は、マスメディアの記事の見出しにも見られます。
試しに経済専門のニュースサイト『東洋経済オンライン』の週間アクセスランキングを眺めてみてください。同サイトの元編集長とお会いした際、CTRを上げるため見出しには相当な工夫を凝らしていると話していらっしゃいました。
私も以前、先輩編集者に見出しを直してもらったことがありました。例えばこんな感じです。
△「珍しいカマキリ、○○市で見つかる」
○「なぜ?○○市に珍しいカマキリ」
また、プレスリリースサービスのセミナーで「タイトルはなるべく体言止めに」とアドバイスするのを聞いたことがあります。これらの文章が美しいかどうかは別にして、余韻を残したり、ドラマティックな雰囲気を出したりして関心を引き出す効果はあるようです。
ユーザーに「記事本文を読みたい」「クリックしたい」と思わせたい場合、見出しではすべてを語らず体言止めを使ってみるといいでしょう。
体言止めが嫌われる場合
一方で、体言止めは文中でも頻繁に見かけます。
作戦通りの完璧な内容。20、21年度の高校横綱が、19年度の高校横綱の颯富士に力の違いを見せる相撲で完勝した。(中略)デビュー場所ながら、初土俵とは思えない堂々とした立ち振る舞い。(中略)幕下15枚目格付け出しの力士がデビュー場所で6連勝するのは、(中略)史上3人目。
出所:「“令和の怪物”落合が6連勝「大相撲という舞台を楽しめている」強心臓で史上最速新十両へ王手」(『スポニチアネックス』2023年1月18日付)強調部分引用者。
頻繁に出てきますね。これほど何回も出てくると余韻を楽しむ暇はありません。書く方も余裕がなさそうです。
この場合は文末表現に変化をつけたり、字数を減らしたりする目的で体言止めが用いられています。
文末表現に変化をつける?
上記のように同じ文末表現が続くと、単調でつまらない印象になります。このため、ライター講座などでは必ずと言っていいほど「同じ文末表現を続けないように」と教えているようです。そこで登場するのが体言止め。(はい、使いました。笑) 「だ」とか「です」とかを取っ払えばいいだけなので、簡単に文末表現を変えられます。
ただし、簡単さゆえに逆効果にもなります。冒頭のリンクから、鴻上尚史さんが書いた文章をお読みください。「〜です」が続く箇所がありますが、私は直すべきだとは思いません。単調でもつまらなくもないからです。「文末表現は一文一文変えるべきだ」というのは書き手の都合であり、体言止めの安易な多用は底が浅いと思われても仕方ありません。
大事なのは読んで共感してもらえるかどうかですね。
鴻上さんに依頼されたのは「成人の日によせて」がテーマですから、18歳や20歳を読者に想定しています。上から目線にならないよう、また読み手の心に届くよう丁寧に書かれていると思いました。
字数を削る?
印刷メディアの編集者として悩ましいのが文字数です。多すぎた場合、大事でないところは削ります。その際、どこを削るかで執筆者と議論になることもあります。
削ることに納得してもらえなかったり、議論する時間がなかったりした場合、仕方なく体言止めを用いることがあります。意味を変えずに文字数を減らすことができるからです。
この項冒頭の文を体言止めにし、2字減らしました。こうしてこまごまと削り、規定の字数に収めるのです。本来は余分を削ったり表現を工夫したりすべきなのですが、締め切りが迫っているとそうもいきません。
体言止めを見ると、編集者の苦労を感じます。
デジタルメディアでも、Twitterなど文字数が厳格に決まっていれば体言止めも仕方ないかもしれません。他のSNSやブログなどで字数に制限がない場合、妥協の産物ともいえる体言止めを文中で使う必要はありません。
ビジネスシーンでの体言止めの使い方
何の目的でだれに読んでもらうかを考えましょう。余韻を残したり、展開に関心を持ってもらったりするのが体言止め本来の役割なので、実用文とは相性が良くありません。ビジネスシーンで書く改まった文章であれば、タイトルや箇条書き部分のみにとどめた方が無難です。
体言止めを推奨する箇所
・題名、見出し、表のタイトル
・名詞を強調する箇条書き
・キャプションや引用などのフォーマット
体言止めを使うか迷ったときは、その文章にドラマティックな盛り上げが必要かどうかで判断しましょう。