1993年の2月12日、背中に矢が刺さったカモが発見から21日ぶりに保護されました。いわゆる「矢ガモ騒動」です。
新聞やテレビが報じると、救助を依頼する電話や手紙が自治体などに殺到。報道はますます過熱し、中継車を出すテレビ局も。大勢の記者が集まり、現場では混乱も生じました。いわゆるメディアスクラムです。
同様の構図は、炎上や事故報道、企業不祥事でも繰り返されています。本記事では、初動判断・窓口の一本化・誤情報対策・慎重な意思決定の説明など、耳目が集中する際に必要な施策をテンプレート付きで解説します。
騒動のあらまし
東京・石神井川でカモが発見されたのは1993年1月22日のこと。「背中に矢が刺さったままのカモがいる」と警視庁板橋署に通報がありました。メスのオナガガモで、7km離れた上野の不忍池に飛んで移動するなど元気に見えていましたが、他のカモからは避けられている様子でした。カモは渡り鳥なので、暖かくなると移動します。それまでに治療しないと、群れから孤立してしまう恐れがありました。
痛々しい姿は新聞やテレビで「矢ガモ 」として連日取り上げられます。すると保護を求める電話が東京都板橋区役所や上野動物園に殺到しました。
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/photo/65260
上野動物園は矢ガモの行動を観察したうえで保護に成功。矢を取り除いて治療し、元気を取り戻したのち2月23日に不忍池に放されました。
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009030257_00000
狩猟禁止地域での使用が禁止されているクロスボウが使われた疑いがあるため、警視庁は鳥獣保護法違反容疑で捜査。逮捕には至りませんでしたが、後に『週刊朝日』はある医大生を“真犯人”として取り上げました。

石神井川にかかる加賀緑橋のたもとにはカモの記念碑も作られました。notebookLMの絵は実際のものとは異なるので、写真を掲載している方のブログをご覧ください。
騒動から学ぶ教訓
板橋区では2月8、9日は午前3時から職員が稼働。北・台東区職員、都庁職員や地元猟友会なども加わって対応に当たったといいます。
電話での保護依頼だけでなく現場には見物人が大勢集まり、保護の瞬間を押さえようとする報道陣も集まって大混乱に。このため行政側は騒音防止、照明使用禁止、現場の立ち入り規制などを報道各社に申し入れました。さらに上野動物園は「今週は捕まえない」と報道側に伝えて“人払い”をして臨み、ようやく保護に成功したといいます(Wikipedia情報、参考)。
矢ガモ騒動は、人々からの意見が殺到する事態やメディアスクラムへの対応・防止への示唆が得られます。
なぜ“善意”は殺到するのか
矢ガモ騒動の背景にあるのは「弱い存在を助けたい」と願う心です。それ自体には何の問題もありません。
広報が理解すべきなのは感情により動かされる人の本質です。事実を整理してから適切な行動を判断するのではなく、まず感情が動かされ、事実を整理するのはその後になりやすいということです。何が起きたかよりも、どう感じたかで動きがちだとも言い換えられます。
矢が貫通しているにもかかわらず、生きているカモの姿は衝撃的です。
- 「かわいそう」
- 「今すぐ助けてあげて」
- 「誰がやったんだ」
という感情が広がるのは極めて自然なこと。上記のNHKアーカイブ動画にも「かわいそうで見ていられないよ」と漏らす男性の声が入っています。こうした思いは共感されやすいもの。共感が拡散を生むのは、SNSで実感している方も多いでしょう。
マスメディアは社会的圧力に敏感です。「みんな知りたがっているから」と無秩序に報道を競い合い、現場は混乱。いわゆるメディアスクラムを招いてしまいました。
SNS時代の広報に必要な施策
メディアスクラム対策は多少講じられてきましたが、人の感情・共感を止めることはできません。SNS炎上に見られるように次のような事態が想定されます。
- 問い合わせの爆発(電話・DM・コメント欄の混乱)
- 現地への人の集中
- “今すぐ対応すべきだ”という圧力
- 未確認情報の拡散
- 犯人探し・憶測の広がり
こうした行動は当事者にとって望ましいとは言えません。望ましい行動を取ってもらえるよう、導く施策が必要です。
なぜ行動誘導が必要なのか
心理学的に、人間は不安や憤りなどの強い感情を持つと「自分で状況をコントロールできる」と感じたいがための行動を起こしやすいとされています。
例えば電話をかける、現地へ向かう、情報を拡散する――。コロナ禍でなぜかトイレットペーパーや強力粉をまとめ買いする人が増え、品薄になったニュースをご記憶の方も多いでしょう。自分が「何かした」という事実で自分の不安を和らげるのです。
参考記事:Robinson,B.(2022) 「脳科学が解明した仕事における不確実性の影響とその対処法」Forbes JAPAN, https://forbesjapan.com/articles/detail/49927
問題は、そうした行動では必ずしも状況改善につながらないことです。現実には当事者や現場の負荷を高めたり、品薄になって買えない人が出てきてさらに入手困難になるなど、かえって事態を悪くする可能性があります。
だからこそ、望ましい行動に導く必要があるのです。
共感が広がっている際に組織がすべきこと
① 共感の温度(ポジティブなのか、ネガティブなのか)を測る
まず必要なのは、広がっている感情の“質”を把握することです。同情や応援といったポジティブな共感なのか、怒りや糾弾といったネガティブな感情なのかによって、打ち手は変わります。
・同情・応援が中心 → 取ってほしい行動を丁寧に示す
・怒り・不信が中心 → 事実整理と姿勢の明示を優先する
SNSのコメント欄や引用投稿、検索ワードの傾向を確認し、何に対してどんな感情が動いているのかを具体化することが出発点です。
Yahoo!リアルタイム検索が便利ですね。
② 窓口を明らかにする
問い合わせが分散すると、現場も発信も混乱します。公式サイトやSNSの固定投稿で、窓口を一本化します。報道の場合は一般の対応が異なるので、別の窓口を用意しましょう。
何度も同じことを聞かれるケースも多いので、いくつか質問を受けた時点でFAQページを公開すると役立ちます。
- 情報提供フォーム
- 電話番号(可能な場合。対応時間を明記する)
- よくある質問ページ(または固定投稿)
③ 行動指針を明確にする
感情が高まっているとき、人は「何かしたい」と思うもの。人々の熱量を放置すると、現地への集中や過剰な問い合わせにつながります。
人々の熱量を、混乱ではなく応援に変える施策が行動指針です。
「電話しないでください」「現地に行かないでください」と禁止だけ伝えるのではなく、例えば以下の方法を伝えてみましょう。
- 現地の状況は公式アカウント/公式サイトで確認する
- 目撃情報は指定フォームで送る
- 専門家の意見を紹介する
- 現場の安全確保に協力するため公式情報を拡散してもらう
「善意をありがとう。これなら状況改善に役立ちます」と示すことが重要です。
危機広報・SNS対応テンプレート
人々の感情が高まっている場合は、何をどの順番で出すかを決めておくと、自らの感情をかき乱されなくて済みます。
以下は、共感が広がっている局面で使える基本テンプレートです。
① 初動投稿(状況把握+姿勢表明)
【状況共有】
本日、(場所)で(事象)に関する情報を確認しています。
安全と対象の保護を最優先に、関係機関と連携して対応中です。
現地へのお越しはお控えください。
次回の更新は(◯時)を目安にお知らせします。
ポイント
・「把握している」ことを即時に示す
・優先順位(安全・保護)を明言する
・次報予定を入れる
② 行動誘導テンプレ(善意の整理)
多くのご心配の声をいただいています。
大勢の方が現地を訪れますと、状況が悪化する恐れがあります。
情報は以下のフォームからお寄せください。(URL)
・感情を否定しない
・禁止事項だけでなく、代替行動を示す
③ 慎重判断の説明テンプレ
現在、専門家の分析と助言を受けながら、最適な対処方法を検討しています。
早く解決したいとの思いは私たちも同じです。
ご理解をお願いいたします。
・「動かない理由」を具体化する
・専門性を明示する
④ 誤情報・憶測への対応テンプレ
本件に関してさまざまな情報が拡散していますが、現時点で当方が確認できている事実は本アカウントの内容のみです。正式な情報は本アカウントの投稿をご覧ください。
公式発表は本アカウントおよび公式サイトでお知らせします。(URL)
・断定しない
・一次情報へ誘導する
⑤ 終結報告テンプレ(資産化)
【ご報告】
(対象)は無事に(処置内容)を終えました。
みなさまの応援・ご協力・情報提供に心より感謝いたします。
今後は(再発防止策/啓発内容)に取り組みます。
・感謝を明示する
・再発防止・学びへ接続する
まとめ
矢ガモ騒動は、危機そのものよりも人々の感情が社会的圧力に変わる構造を示した事例です。
放置すると混乱になりかねませんが、設計すれば行動の方向性を整えることが可能です。感情を否定するのではなく、問題のない方向へ導けるよう、平時から準備しておきましょう。



