文章力がない、と思い込んでいませんか?
そもそも文章力とは何のことでしょう。この記事では文章力の判断基準について解説します。
文章力にはいろいろな要素がある
文章力のあるなしはどこで判断されるのでしょうか。
文章力が「ある」といえる特徴を挙げてみましょう。
•簡潔
•分かりやすい
•誤字脱字や言葉の誤用がない
•文法的に間違っていない
•語彙が豊富
•想像しやすい具体的なたとえを用いている
•書き手の人となりが伝わる
•読んだ人が共感できる
•論理的で筋道だっている
•主張に納得できる
ざっと並べてみました。
これらを仕分けしてみると、大体五つくらいに大別できます。
(1)日本語として間違っていない(文法力)
(2)すらすら読める(適正な表記)
(3)説得力がある(論理性)
(4)表現や語彙が豊か(表現力)
(5)書き手の人となりが伝わる(独自性)
一つ一つ掘り下げてみましょう。
日本語として間違っている文章とは?
日本人なのに間違った日本語なんて……とお思いかもしれません。でも、意識していないとかなりの頻度で間違った日本語を話したり、書いたりするものです(私もそうです)。
よくあるのは主語と述語のねじれ。
書いている途中で別の主語が書き手の心の中に登場してしまい、本来の主語と述語がかみ合わなくなってしまうのです。
この焼き物は遠赤外線を多量に放ち、なおかつ特殊な長波を放射していることによって、細胞を活性化させ人体にとって有効な光線であると実証されています。
ある温泉にあった効能説明文の一部を引用者が変更
「●●焼は」とあるのでこれが主語のようです。ところが文末は「有効な光線であると実証されています」。焼き物は有効な光線? おかしいですね。途中で「特殊な長波」が登場し、最後にはこれが「有効な光線である」と文を乗っ取ってしまいました。
日本語として間違っているというより「意味がわからない文」と言ったほうがよいかもしれません。
誤字脱字も誰でもやらかします。なくす方法はただ一つ。書いた後で確認し、修正することです。
すらすら読めるよう表記する“心配り”
すらすら読める文は“読み手への心配り”が行き届いています。読み手が読みやすいように、何を書いているか分かるように記しているかどうかです。肉筆なら、一画一画丁寧に書くということ。
仕事で書く場合、デジタル端末を使う場合がほとんどでしょう。字のうまい下手は関係ありません。逆にありがちなのが、読めそうもない漢字をやたらに使ったり、逆にひらがなだけで書いたり、カタカナや外来語を必要以上に散りばめたりした文章です。例を挙げましょう。
そこでマネージドサービス等を利用していくことによって、これまでの統一基準群のセキュリティでこういうルールを守ってねということを自然言語のレベルではルールとして規定しておったわけですけれども、今後はきちんとインフラストラクチャーアズアコードと呼ばれているようないわゆるプログラムでもってポリシーを徹底して、それぞれのシステムがきちんと底上げされたレベルで十分安全に構成するということが可能になってまいります。
マイナンバー制度及び国と地方のデジタル基盤抜本改善ワーキンググループ(第6回)議事録より抜粋
(2022年11月12日閲覧)
読みにくくありませんか?
こちらは話し言葉をそのまま載せた議事録です。この会議の出席者は特に内容を気にせず議事が進んだことでしょう。しかしこの部分を書き言葉にしてだれかに読んでもらおうとする場合は編集が必要です。会議に出席していた人だけが読むとは限りません。内容に詳しくない人にとっては読みにくく、語句の意味もわかりにくいからです。
(議事録は会話内容をそのまま文字にして残すのが重要なので、問題ありません。念のため)
読み手を置いてけぼりにしない
説得力といっても、書き手の主張に100%同意させるという意味ではありません。つじつまが合っていて主張に無理がない、話が飛躍していないというほどのこと。
読み手を置いてけぼりにする文の例です。
A社の製品は、飲食業界、流通業界などで顧客情報の収集に利用されていますが、こちらでは利用ができなくなっています。
ある書籍の一部を参考に書き直して例文にしました。「こちらでは」が何を指すのか分かりません。段落を一つ二つ遡って読み返すとなんとなく「このことかな?」と思い当たります。
読み終わった部分をもう一度読み返させるのは読み手に対して不親切です。書いている自分は分かりきっているので「こちら」とか「その」などの指示語を使ってしまいますが、読み手はどうでしょうか。
いろいろな文章表現で読み手を引き込む
表現力というと、語彙や比喩の豊かさを指すことがあります。でも、ことわざや中国の故事などをやたらに使っても、それらを知らない人にとって過剰で無駄な部分です。
以前の記事でも紹介した通り、小難しい言葉を使わなくても表現の幅は広げられます。いろいろな角度、側面から表現してみるということ。例を挙げましょう。
地元の素材を使ったスープやパンに舌鼓を打った。(中略)雲の切れ間から漏れる朝日を感じながら、大田市大森町のドイツパン職人が飯南町産のパプリカやリンゴで作った7種類のパンや、飯南町のカフェが自社で栽培するシルクスイート(サツマイモ)とミルクのスープを味わった。
出所:「雲海眺め味わう朝食最高 飯南」『山陰中央新報』2022年11月18日付
(2022年11月18日閲覧)
早朝に山頂で朝ごはんを食べるイベントです。記者も一緒に登山したようで、雲が立ち込める山々を背に朝ごはんを食べている参加者の写真がついています。
「舌鼓を打った」は慣用句ですが、紋切り型ともいえます。テレビのグルメ番組でリポーターがどんな店で何を食べても「おいしい!」としかコメントしなかったら、どうでしょうか。せっかく汗を流して山を登った後で食べる朝ごはんなのに、都会のレストランで食べた時と変わらない表現ではこのイベントの良さが分かりません。
どんな味なのか、どんな気分なのかを追加すると良いでしょう。例えばこう書き換えるのはどうでしょうか。
「山頂は気温●度。保温容器で運ばれたサツマイモとミルクのスープで冷え切った体が温まり、参加者たちの笑顔がこぼれた」
自分にしか書けないことを書く
凝った文体にしたり自分で言葉を作ったりする必要はありません。経験、自分の考えに基づいて書くという意味です。
結果として他の人の文章と内容や結論が似通っても問題ありません。ただし“コピペをしない”“他の人が考えたことを自分が先に考えたように書かない”といった最低限のマナーは守りましょう。
例えば「温泉で疲れが取れた」とSNSに投稿するとします。大抵の人は温泉に入ると疲れが取れるので、それだけではだれが書いても同じです。どこの温泉のどんなお風呂なのか、自分はなぜ疲れているのか、疲れが取れた結果どのような状態になったのかを追加してみましょう。たったこれだけで「自分にしか書けない」文になります。
文章力の有無を判断するのは誰?
文章力のあるなしは、専門家が判断するのではありません。文章を読んだ人が判断するのです。
「何を言いたいのかわからない」
「結局この人はどんな立場なのか」
「知らない語句がたくさん出てきて難しい」
「説得力がなく、共感できない」
読み手がこんな感想を持ったら、それは文章力がない文です。「文章力がない人」が正しい言い方でしょうけれど、同一人物でもうまい文章、そうでもない文章など波があるもの。人格と文章力は切り離しましょう。どんな文でも、きちんと編集すれば伝わるようになるのです。
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